社長コラム 石のことば
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2016/12/08
第142回 「NY 美術館巡り」

ニューヨークにはたくさんの美術館があり、芸術に関心のある人は、パリやロンドン或いはイタリアの有名な美術館巡りもいいでしょうが、一か所にまとまっていて同じ日に複数巡ることができるのは何といってもNYだと思います。

マンハッタンの中だけでも近代美術館、メトロポリタン美術館、グッゲンハイム美術館など集中して存在しています。

もちろんそれらの中には、絵画も彫刻も前衛芸術も混在していて、現代だけでなく古代の大理石彫刻までジャンル問わず展示しているのですが、今回はそれらも見た後で、石彫専門の美術館「イサム・ノグチ ミュージアム」にも行ってきました。

石の業界ではイサム・ノグチの石材彫刻は大変に有名で、その作品自体は今までも目にしていたり、彼が好きな石材である花崗岩や安山岩のことも知ってはいましたが、今回実際にその作品を見たり、その生涯を知って改めて感心するところがありました。

イサム・ノグチとあるので彼は日本人(日系1世)かとの印象がありましたが、実は彼のお父さんが日本人1世で、母親はアメリカ人であり、いわゆるハーフであったこと。

また、日本でも超有名になったのは、一時 女優で後に議員になった李香蘭(山口淑子)と結婚していたことも理由があったのかもしれません。

でもその頃にはすでに彫刻家、芸術家として実績を残し始めていた時でもあったので、今でいうロマンスやゴシップで有名になったというよりも、芸術の実力で人気を博していたのかもしれません。

いずれにしろ、今回のミュージアム見学は、石彫家イサム・ノグチの一生の中での石の扱い方や表現の仕方の歴史と変貌が感じられて参考になりました。

石の硬さを柔らかく表現したり、逆にその固さや自然観を強調したり、その感性に惹かれるものも多かったです。

石をピカピカに研磨する表現もあり、逆に自然のままの割肌や、粗い感じのノミ切り仕上げなど良く石を知っている人の奥深い表現が多用されています。

石はそのままでも石として存在しますが、人によってその石の意味合いや役割が変わってくるのは、まさに墓石でもそうであり、建築用の石材でもそうであると、改めて気づかされたような気がします。

2016/11/12
第141回 「NY ウッドローン墓地視察5」

 結局、初めの疑問、アメリカの墓地に対する考え方は? についてのまとめをする必要があります。

今回紹介した野口英世のお墓、高峰譲吉のお墓、そしてマイルスデイビスらの数多くのミュージシャンのお墓はそれぞれ個性的で、その人物の人生を、生きた証を刻んだこの世に二つとない独自のユニークなものでした。

同じ墓地公園内には、石工事だけで数千万円はするだろうと思われる、宮殿のような霊廟もあれば、その隣にプレートだけのお墓がありそこに星条旗を捧げていたり、大きな樹の下にポツンと置かれたお墓など、全てがまるで自由に置かれているように見えます。

聞いたところでは墓地の使用料自体は日本とそれほど大差なく、夫婦二人用の墓域でおよそ50万円ほど。

そこに墓石をアレンジしたり、まだ土葬が80%のアメリカでは棺(ひつぎ)も重要なアイテムの一つですが、納棺や埋葬の費用をかけて死者を弔うこと自体は、国が違っても人種が違っても大きな違いはないと感じました。

ただ、自由の国アメリカ、そしてそこに住む人々にとっては、生きているうちも自由だし、死者にも同じく自由を与えていると思います。

日本の墓域はどちらかというと画一的で、寺院や霊園業者が大きさを決めてしまって、その大きさの中で眠ってもらうという、日本人の横並び性格が死んでからも色濃く残っています。

このウッドローン墓地は当然面積で使用料が変わりますが、家族用として大きな墓域をもらうこともできるし、一つの小さな丘を墓域として求めることもできるようです。(当然その金額は数億円とも数十億円ともいわれますが)

つまり、お金の有る無しも重要でしょうが、個人あるいはその死者の考えにより、大きなお墓でも小さなお墓でも皆が理解できる、共有できる状況なのではないかと思います。

現在日本はお墓離れが進んでいると業界では騒いでいますが、先祖に対する思いや、亡くなった身近な人への思いなど、横並びで一様に決まっているものではありません。

お墓を持たない人もいるだろうけど、出来るだけ良いものを作りたいと思う人もいれば、大きな形を望む人もいます。

ところが、区画の大きさはこれこれ、墓石の形はこれこれ、お参りの時間はいついつなど、画一化しすぎて死者や建てる人の個性や自由を奪ってしまっているのが日本なのか、今の問題なのか、とアメリカの墓地から見て思わずにはいられません。

また、埋葬の仕方が違うせいもありますが、この墓地では隣の墓域との境界があまりない、或いは気にならない、実際にはここからここまでという目印はあるのだと思いますが、それをまるで感じさせないおおらかさのような雰囲気があります。

あの世に行ってまで敷地や境界で悩む必要はないでしょうから、それも今回のカルチャーショックの一つでした。

2016/11/01
第140回 「NY ウッドローン墓地視察4」

次に同じく、ウッドローン墓地で訪問したのはジャズの王様といわれる マイルスディビスのお墓です。

実はここにはたくさんのミュージシャンが眠っていて、地元の一般ファンもたくさんお参りに訪れているようです。

大勢の音楽の著名人がいたる所で安眠しているので、そこに行き着くためには、前に紹介した霊園ガイドマップという新聞紙1枚分くらいのパンフレットがあり、それを見ながらのまるで宝探しの冒険小旅行です。

そのガイドマップには部門別で著名な科学者(野口英世はこの欄です)や映画俳優、芸術家、作家、政治家などのジャンル別の中に最も多い数で紹介が上がっているのがミュージシャン部門です。

その中でマイルスディビスはアルペン丘の一画にあり、またまた車で4、5分ほど戻り、見つけたのは大きな黒御影石の一枚物の墓碑。

現在の石の加工技術或いは加工の機械の限界で高さが1メートル80センチほど、横幅が3メートル50センチほどの一枚物は最も大きな碑となります。

トランペットと楽譜を彫刻し本人の名前と年号だけのシンプルな墓石ですが、大きさ的にはかなり印象深いもので、存在感は圧倒的です。

ジャズも近年は日本でも極めて一般的になり、たくさんのファンもいますが、もともと発祥の地であるアメリカでは生活に根差した音楽でもあります。

ここに紹介できないくらいのたくさんのミュージシャンの個性的なお墓がありましたが、故人の生きていた時のそのままの印象を受けたのはサックス奏者 イリノイジャケット のお墓です。

なんとも生前の姿と一生の仕事が単純に伝わて来ます。

お墓は追悼の場所であると同時に、もう一つの意義である、生きた証を記録する場所であることをまさに実感しました。

2016/10/11
第139回 「NY ウッドローン墓地視察3」

 次に向かったのは、野口英世のお墓から地図上は数ブロック(道なりでは1,000ヤード(約900m)程)東に進んだ別な墓域であるヘザー(植物のヒース)地域の中にある高峰譲吉のお墓です。

車に乗って5分ほど行ったでしょうか、車道から比較的近いのと、大きな(中位の)霊廟型のお墓だったので、こちらも何とか見つけることができました。

霊廟型のお墓は、日本でも沖縄地方では古い形式で残っていたり、韓国や中国でも一部その方式がありますが、屋根や壁があり、人が中に入れるいわゆる家形のお墓です。

この高峰譲吉の霊廟型のお墓は日本の基準から言ったら、とてつもなく大きくて、どこにあっても目立つくらいのものですが、ここアメリカそしてこのNYウッドローン墓地では、この大きさはたくさんあり、大型といったらお城のようなまるで宮殿を思わせる大型廟もあれば、オベリスクのようなとてつもない高さのものも多く、ここでは中位の感じです。

総御影石つくりの廟で、中に高峰譲吉本人の遺体(お骨ではない)の安置場所、その奥さんのキャロラインの場所、そしてその子であろう高峰譲吉ジュニアとさらにその奥さんと思しき方の安置場所が見られ、一族が平穏に眠っている安らかな御廟です。

なかなか高峰譲吉という人を知っている人は少ないですが、生まれは江戸時代の末期いわゆる幕末期で、今の富山県高岡市に医者の息子として育ち、医学や化学にも造詣が深いですが、日本酒やウイスキーの醸造にも関連し、今でいうバイオ化学の先駆けとなった人のようです。

有名なのは消化薬のタカジアスターゼ、ホルモンの一種アドレナリンの発見などの学問的な功績とともに、経済人としてもアメリカでのウイスキー工場の経営や、現在の第一三共(三共薬品)の初代社長などの実績もあります。

日米交流の懸け橋となり、ワシントンDCのポトマック河畔で桜並木の植栽事業などにも関係したそうです。

彼の眠る石の御廟には、入口とちょうど反対側の壁面に、日本の象徴の富士山を描いたステンドグラスがあり、日本人1世とその奥さん、そして2世とその奥さんとの4人が、譲吉の故郷、日本の景色を夢見て眠っているのかもしれません。

その後の子孫がいるかどうかはわかりませんが、仮に日本の血が4分の1、8分の1になっていっても、彼らの心の底に富士山を見ながら眠る先祖の思いがあったら素晴らしいことだと想像しながら手を合わせてきました。

2016/09/27
第138回 「NY ウッドローン墓地視察2」

 ウッドローン墓地を訪問した目的一つは、福島県生まれの偉人 野口英世のお墓を見ることでした。

小さい頃に読んだ世界の偉人伝の中で、日本人の話が少なかったせいか、或いは隣県の福島県猪苗代の出身だったせいか、はたまた修学旅行などで野口英世の生家を見たりしたせいなのか、何となく身近に感じる昔の偉い人というイメージでしたが、そのお墓がまさかアメリカにあるとは、そしてニューヨークにあるとは思ってもいませんでした。

地図片手に広大な中を探すのですが、一応ガイドマップ上にもDr.Noguchiはホワイトウッド区域にあるとは書かれてあるものの、その区域だけでも日本の一つの寺院墓地以上に広いので、あっち行ったりこっち行ったり10分ほど探してようやく見つけたのがその野口英世のお墓です。

もともとは自然石風の極めてシンプルなモニュメントの中に青銅版でその人となりが書かれているだけでなかなか目立たなかったのですが、日本の大使館でも近年その整備や管理の必要性を感じ、その前に小さな石で野口英世とその妻メリーの墓標を造ったそうです。

それによって若干は目立つようになり、何とか目的地に行きつける参拝客が増えたことと思います。

聞くところによると日本人のお参り客も多く、お花が絶えないお墓の一つとのことでした。

本人の功績や、小さい頃の苦労など偉人伝に載った詳細は書かれておらず、墓石本体の墓碑には下記のように書かれてありました。

      HIDEYO NOGUCHI

1876年11月24日 日本の猪苗代に生まれる

1928年5月21日  アフリカ ゴールドコーストで死す

ロックフェラー医学研究所のメンバーである

献身的に科学に一生を捧げた

人類の為に生きそして死んだ

お墓は供養の場所であるとともに、その人の生きた証を記録するものであるといわれますが、この5行の墓碑に野口英世という偉人の一生が凝縮されていることに少し驚き、そして少し納得しました。

もう少し詳しく書いてほしいと思う反面、功績は誰もが知るところであり敢えて詳細を省くというのも一つのあり方だと思いました。

2016/09/14
第137回 「NY ウッドローン墓地視察1」

 東京とよく似た土地利用の都市に、言わずと知れた世界の金融の中心地、アメリカのニューヨーク市(NY)がありますが、NYの墓地事情はどうなっているのか大変興味を持っていました。

簡単に東京とNYを比べてみると、人口はほぼ同規模1千万人で、面積もかなり近いです。

(厳密にはNY市は、マンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタテン島の5区合計で830Km2、東京は23区の面積が620Km2でそれに八王子市と立川市を加えるとほぼ同じ830Km2です。

ちなみにニューヨーク州全域は141,300Km2、東京都全域では2,190Km2と比較にならない)

そのような中でも、都市活用は全く違って、ご存知の方も多いと思いますが、NY特に中心部のマンハッタン島は、日本の京都以上に碁盤の目のように道路が確立されており、またNYのシンボルともいえるセントラルパークは横(東西)に0.8Km、縦(南北)に4.0Kmの広大な公園で、日比谷公園の20倍以上の広さがあるが、住宅やオフィスなどの集積地は容積率が1,000% 2,000%もあり、NY全域の平均値でも956%と高度利用が進んでいるのに対して、東京の都心4区山手線内の容積率平均は236%と土地の活用にメリハリがないように思います。

そんなNYでは、死者のための土地、いわゆる墓地に対してどのような考えで、どのような現状なのかを少し見てみたいと、NYの墓所をいくつか回ってきました。

写真はNYブロンクスにあるウッドローン墓地です。

場所はマンハッタンから車で30分ほどの少し郊外ではありますが、近くに野球のヤンキースタジアムもありそれほど不便な場所ではありません。

そこに総面積160haの広すぎる公園墓地があります。

ちなみに青山墓地や八王子霊園は26haなので、それぞれの6倍以上の広さです。

霊園入口は豪華な石の門構えで、中世の城郭都市を思わせる作りですが、中は緑が多く管理もきちんとなされています。

広すぎて迷子になるほどなのでガイドマップもあり、地図を見ながらでないと目的地まで行けません。

もちろん中の移動は車です。

いくつかのお墓にお参りしてきたので次回もこの墓地を取り上げたいと思います。

2016/08/30
第136回 「業界の友人」

幼い頃の友人や学生時代の友人などは仕事関連でないため、お互い利害関係もなく一生付き合える親友といわれる友達が出来やすいですが、いったん社会に出ると同僚だったり同じ業界の飲み友達だったり、あるいはお互い様子伺いの表面だけの付き合いなどは増えても、本当の友人はなかなか作れないとよく言われます。

確かにそのような一面もあるでしょうが、でも仕事がきっかけではあってもその後意気投合してとか、仕事に関係なくてもその人が気になるとかという、いわゆる友達は比較的多くいるかと思っています。

私の場合は会社関係でも石の会社や不動産の会社、測量設計コンサルの会社など同僚も多岐にわたっていますし、当然ながら業界関連も石屋業界(建築石材業界と墓石業界)、不動産業界、測量設計業界など各業界の経営者や同業者、共通する関連性では税理士、公認会計士、各種のアドバイザー、弁護士などの専門職、石関係では石彫家や仕入先の海外の業者など、「友達の在庫表」を作るといろんなジャンルがあって自分でも結構面白いです。

そんな中でもやはり冒頭に書いたように、特に仕事に関係なくても会って食事したり近況を報告したり、もちろん時には相談したりされたりという友人が自分には結構いると感じています。

先日も、ヨーロッパで同じ時を過ごした事のある友人との会話に思わずワインが進み翌日は二日酔い状態だったり、共通の友人の話から急遽その人を呼び出して一緒に盛り上がったり、きっかけは仕事でも仕事以外の時間を共有できる良き友人との出会いならまだこれからも少しは期待できるのかもしれないと思っています。

もちろん今後も会社の同僚や関連会社の社員との出会いなど、新しい巡りあいも期待できると思います。

そんなことを思うと、これからの人生においても、まだまだ友人は作れるものだと確信しています。

2016/08/07
第135回 「夏の思い出」

小学生の時に習った童謡(歌唱曲)に「夏の思い出」というのがありますが、この年齢になっても意外と印象に残っているものです。

【夏が来れば思い出す はるかな尾瀬 遠い空 ・・・・水芭蕉の花が咲いている 夢見て咲いている 水のほとり・・・・】

この歌には曲とともに『尾瀬』という地名や『水芭蕉』という花の名など、行ったことが無い見知らぬ場所でもその全貌をイメージさせる雰囲気があり、それがどこか頭の中に残り続けているのかもしれません。

その『尾瀬』に初めて行き、そして「至仏山トレッキング」をして来ました。

群馬県・福島県・新潟県・栃木県の4県にまたがる広大な湿原の「尾瀬ヶ原」と「尾瀬沼」、そして尾瀬ヶ原を挟んで両側に屹立する「至仏山(しぶつさん)」と「燧ケ岳(ひうちがたけ)」の二つの名峰の「尾瀬エリア」が国立公園を形成する中心になっています。

残念ながら季節が違って『水芭蕉』は終わっていましたが、ニッコウキスゲや高山植物などはシーズン真っ最中でした。

1枚目の写真は尾瀬ヶ原から見た燧ケ岳です。燧ケ岳は尾瀬ヶ原を挟んで福島県側(北東側)にあり、山頂の形も特徴的な標高2,356mの山です。

2枚目がその反対側群馬県寄り(南西側)の至仏山です。

こちらも標高2,228mと近隣の山からは頭一つ分抜けています。

湿原の木道のその延長にある茶色の登山道を直登する非常に難しい、体力のいるコースです。

スタートの登山口(山の鼻小屋)からの標高差800mをひたす急な角度で登り続ける過去最高に難しい山でした。(私にとってですが、それでも山のランクでは星1つ初心者クラスではなく星2つ中級者レベルと記載があります)

朝6:30に尾瀬ロッジ(山小屋)を準備万端出発しても下山口のゴール鳩待山荘到着14:30という、体力気力の必要なコースでした。

さらに難しさを高めているのが、この山全体が「蛇紋岩」で出来ており、いたる所にその蛇紋岩が隆起して道を塞ぎ、またその石質から大変に滑りやすく転倒や滑落の心配もある難所中の難所です。

折角ですから「蛇紋岩」について触れておきます。

薄い緑色から濃い緑色或いは黒っぽい緑色の地に、白やグレーの模様が入り、まるで蛇が這いまわったような模様が出ることから「蛇紋」と言われます。

成り立ちは大理石分類の「変成岩」と安山岩などの「火山岩由来」の中間の性質をもち、我々石材関係では、その模様の状態から大理石分類に置いています。

表面は良く磨かれて艶落ちもあまりしません。

日本で有名なのは秩父蛇紋がありますが現在はあまり採られていません。

海外にも同じような性質の石があり、台湾蛇紋、イタリア蛇紋、ギリシャ蛇紋などが日本に入ってきています。

一応、この至仏山の蛇紋もきれいな緑色を発色しているものもありますが、当然ながら国立公園内での採掘は出来ませんし、何より商業効率はかなり悪いので、ここの蛇紋岩が商品になることは無いと思います。

尾瀬と至仏山と蛇紋岩が今年の「夏の思い出」となりました。

2016/07/20
第134回 「単独峰への憧れ」

 日本列島には背骨のように山脈が連なり、山の裾野が広く平野に下ってくるという光景よりも、山の上に山が重なり、その先にまた山が見えるという景色のほうが多いように感じます。

一つの山だけがぽつんと平野から沸きあがってくるようないわゆる単独峰、一番有名なのは富士山でしょうし、東北でも鳥海山や岩木山などはその類であり特別に憧れを感じます。

片や、日本アルプスのように山また山の中に聳える3千メートル級の頂きも良いですが、それとは違った孤高の美しさに心惹かれるのでしょうか。

今回は青森県の単独峰、津軽富士とも言われる岩木山に念願かなって行ってきました。

初日は残念ながら雲がかかって頂上はまったく見えずその日の登山は諦めて、以前行ったことのある白神山地の青池や不老不死温泉巡りなどして、翌日再挑戦。

翌日もそれほどには澄み切ってその単独峰の雄姿が見えたわけではなかったですが、登っているうちに雲も少なくなり霞みながらも何とか頂上制覇、360度の視界がもっとくっきりと見えたらもっともっと記憶に残る登頂だったんでしょうが、それでも単独峰制覇は感動しました。

本来なら東北全域の山々が見え、津軽海峡や北海道も見える頂上は、まさにパノラマさながら、地上での悩みなどは一瞬で忘れてしまいます。

しばし頂上でその感動を堪能した後はいつもの如く、裾野にある近場の温泉で汗を流し、湯船からときどき見える津軽富士の頂きを、あんなとこまで良く登ったなあという自己満足と、人の足ってやっぱり凄いなという驚愕の思いを持って露天風呂に浸かって癒されてきました。

2016/06/22
第133回 「済州島 三多島」

韓国の南に済州島(チェジュ島)がありますが、ここは韓国では別名で「三多島」と呼ばれています。

済州島には他より多いものが三つある、という意味です。

その一つは「風」です。

四方が海で海洋からの風が当たるのは当然ですが、合わせて島の中央には韓国の半島本土も含めて最高峰のハルラ山が鎮座しており風の抜け道が無くまともに当たるせいもあるかもしれません。

冬の北風はもちろんですが、春も夏も強風が吹き荒れています。

地元の人に聞くと秋だけは少し風が収まるとか。ただ台風が多いシーズンでもあるので、言ってみれば一年中風の中です。

次は「女」といわれています。

今はそんなことは無いのでしょうが、昔は「男」が漁に出て舟が帰れなかったら、残された家族を養うのは女性であり、生活のために逞しくなっていったんだと思います。

今でも済州島には多くの「海女」さんが居て、現役で海の恵みを潜って採っている姿を本当に見ることが出来ます。日本も場所によっては昔はそうだったのでしょうが、最近は観光用に潜っていただいている感が否めません。済州島では生活力のある強い女が多いということになるでしょうか。

そして最後が「石」です。

火山だったハルラ山から噴出した火山岩が島中に広がっていて、どこを掘っても石が出てきます。

例えば農地を耕すにもちょっと掘ると石が出て、というような状況だったようです。

それでその石を積み上げて自分の農地を囲んだり、自分の家の周りを石垣でつんだりと不要なものを有効利用しているのが済州島の何処にでもある石垣です。その石垣のおかげで風も防げるし、防犯や敷地争いも防げる。何とも石の多い土地を嘆く事無くまさに逆転の発想です。

「石」ついでに済州島のお墓もその石で垣根を作って土饅頭(未だ一部土葬もあり)で自分の墓域を明確にしています。

そしてさすがに「石」の済州島。海岸沿いには火山が冷えて固まるときに柱状に亀裂が入りながら形成された六角形の玄武岩、通称六方石も見事に見ることが出来ます。

三多島の少なくとも「石」が多いことは間違いないですね。

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