社長コラム 石のことば
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2021/10/25
第193回 「隠岐の黒曜石」

 昨年、日本全国47都道府県の最後の訪問県である高知県を訪れたことにより、全国すべて行ってきたような気持ちでいましたが、なんと今回初の隠岐国(昔はここも単独の行政区)へ行く事になり、自分自身まだまだ未踏の地が多いことに思い至りました。

 そういう意味では佐渡島や淡路島を除けば、壱岐島や対馬島にもまだ行く機会がなく、それぞれ昔の壱岐国だったり対馬国だったりしたので、離島に関してはまだまだ行けてないところが多いです。

 今回は、グループ会社の仕事での訪問で、滞在時間はわずか数時間でしたが、のんびりと観光なども出来ればよかったと思います。

 なかなか隠岐の事を知る機会もなかったのですが、改めて調べると大きく島は四つあって、前(本土側)の三つの島(知夫里島、西ノ島、中之島)を島前、奥の一番大きな島(隠岐の島)を島後と言い前後に呼び分けています。

 それぞれに行政区が違い、地夫里島は知夫村、西ノ島は西ノ島町、中之島は海士町、隠岐の島は隠岐の島町(旧西郷町)と言うようです。

 人口は島前島後の4島全部でも19,000人余り、漁業と観光で成り立っている町です。

 実は行く前から多少は土地勘は持っていました。

 司馬遼太郎が亡くなって、歴史ものの新刊を読めなくなって久しい時に、知人から紹介された飯嶋和一という人の歴史小説が面白く、この隠岐の島後を舞台にした「狗賓童子の島」という小説で隠岐の島の地図と一緒に話を進めていく読み方で、大体の感じは持っていました。

 また、何といっても流刑の島としての印象も強くここで生涯を終えた後鳥羽上皇や、或いはここから脱出してその後さらに活躍した後醍醐天皇など隠岐は歴史とともに存在してきたと感じています。

 
 更には、石屋としてはこの島から産出される黒曜石の事も紹介する必要があるかと思います。

 黒曜石というのはガラス質の多い火山岩で、色はほとんど黒色のため黒に耀(ガラスで輝いているため)の字で本来は黒耀石と言いますが、今は曜日の曜で黒曜石でも通ります。

 ガラス質であることから、脆さはありますが割った断面は切れ味のいいナイフや剃刀のようで、石器時代から手斧や矢じりの材料とされてきました。

 そして、このための良質な産地は日本国中でも数カ所しか存在せず、全国でも北海道、栃木県、長野県霧ケ峰周辺と並んでこの隠岐の島の黒曜石は良質なため盛んにほかの地域から求められました。
 面白いことに同じ黒曜石でもその成分分析をすると、どこの産地のものがどこまで流通していたか、発掘された石器を調べるとわかるようでその検証もなされています。

 また、この石は世界中いろんなところで同質のものがあり、世界史的には石器時代ばかりか、青銅や鉄器文明を経ずに、南アメリカのアステカ文明などは15世紀までこの黒曜石が最高の武具として存在していたということです。

 隠岐の黒曜石は、山陰地方はもとより、山陽地区、近畿地方、一部四国や北陸まで渡っていたというのでこれも面白い研究だと思います。

 隠岐は本土から流されてくるだけでなく、本土へ輸出して広めたものもあるという事実にもう一度振り返ってみることも必要かもしれないですね。



 

2021/09/09
第192回 「磊」

 お客様から当社への質問で今でも多いのが、看板やロゴマークになっている「磊」の文字を何て読むのか教えて、というものです。

 実はこの漢字、ちゃんと辞書にも載っていますが、用語として使われることが非常に稀で、確かに馴染みが薄い漢字ではあるのかなと思っています。

 私が知っている用語としては、四文字熟語の「豪放磊落(ごうほうらいらく)」くらいなもので、あとは宮城県仙台市民限定で、仙台市秋保温泉渓谷に存在する「磊々峡(らいらいきょう)」というのがあって聞いたことがあるというくらいかもしれません。

 他に色々調べると「磊磊落落(らいらいらくらく)」や「不羈磊落(ふきらいらく)」等同じような意味の熟語があるようですが、基本的には心が大きく、おおらかで、細かいことにこだわらないさまを言うようです。

 つまりその質問の答えとなりますが、「磊」は「らい」と読み、意味は「心の広いさま」を表していますが、もう一つ漢字の成り立ちから「石が積み重なっているさま、石がごろごろしているさま」という意味もあります。

 ちょうど、「豪放磊落」などの四文字熟語は「心の広いさま」の意味に対して、「磊々峡」の方は「石が積み重なっているさま」の方の後の意味となります。

 「まつしまメモリーランド」やグループ各社の石材関連会社で使用しているロゴの「磊」は当然ながら後者の意味を表しているとともに、ロゴ作成時の理念として「1・建築の石材、2・お墓の石材、3・造園や環境の石材」の全域を取り扱える石材会社としてのオールマイティさと、「代々積み重なる石(故人)の記憶」を表すシンボルの意味も込めました。

 確かに珍しい漢字で読める人は少ないですが、もともとの中国では普通に目にする文字で、ちょうど「木」と「林」と「森」や「日」と「昌」と「晶」の関係のように、日本でもよく浸透している重ね文字と、こちらではあまり見ない「金」の3つ重ねや「火」の3つ重ね、「人」の3つ重ねの漢字などよりは未だ馴染みがあるのかなと自分では、ポピュラーな方の漢字なのかなとは思っています。


 

2021/07/23
第191回 「石とオリンピック」

 いよいよ2020(2021?)東京オリンピックが開催されました。

 ここまで来るには主催団体も開催都市も開催国も、医療問題、政治問題、時間的経緯、主義主張の違いなど、まさに二転三転し国民も全世界も翻弄され続けました。

 でも一番大変だったのはオリンピックに参加する選手たちだったと思います。

 自分の夢、世界中が見つめる大舞台に出たい気持ちと、コロナ拡大危機の中での葛藤。

 オリンピックは出れる事が選ばれた証であり、参加することに意義があるとよく言われてきました。

 目標は皆、入賞だったりメダルだったり、勿論誰もが金色の最高峰を目指しているとは思いますが、このコロナの特別なオリンピックに参加した事ですべての参加者に敬意を払いたいと思います。


 さて、今回はオリンピックの話ではなくて、かつてオリンピックと同じように「参加することに意義がある、オリンピックのような石屋の現場」があったことを紹介します。

 時はバブルの真っ盛り1990年(平成2年)完了の超巨大ビルにかかる石工事の現場です。

 もちろん誰もが知っている新宿の東京都庁です。(写真は上の中央が第一庁舎、二番目が第二庁舎、最後が渡り廊下です)

 外壁は総石張り、石材の施工面積は第一庁舎外壁が約57,000平方メートル、第二庁舎外壁が45,000平方メートル、渡り廊下部分が8,000平方メートル、3カ所合わせて外壁の総面積110,000平方メートルは空前絶後の数量です。

 もちろん内部の床や壁にも石材が多数使用されており、その数量24,000平方メートル、内外合わせると石は134,000㎡も使われています。

 これは、当時の石材店1社が年間で製造も施工も2,000㎡とか3,000㎡とかが平均値であり、大手といえども10,000㎡はかなり重荷だった頃の話です。

 しかも建築の工期は1988年4月~1990年9月迄の2年半、石工事は建築工程の後半なので最後の1年間でこの膨大な量の供給が必要だったので、初めに書いた「とにかく石屋として参加することに意義がある」のような形で日本中の石屋がこの現場に関係しました。

 当社も、当時は未だそれほど都内の物件に入り込むことは少なかったのですが、外壁の(ほんの)一部ですが、工場加工と施工協力を行いました。
 当社の分は確か2,000㎡位だったかと思いますが、全石材量からすると1.5%にしかならないのに、当社にとっては大変な量を非常に短期間で対応させていただきました。

 日本中の石屋が一つの物件に集まり、まるでオリンピックのような注目度の中、参加できた事に誇りをもって取り組んでいました。

 のちのち、石屋の世界では、「お宅も都庁(の現場)に入ったの?」「下請けの下請けでうちも都庁やりましたわ」などまさに日本中、いやイタリアの石屋、採掘現地の石屋など世界中を巻き込んで、オリンピック同様の狂騒の時期でした。

 ちなみに外壁の8割がたはスペイン産のホワイトパールという御影石です。色の淡いグレーの方です。残りはスエーデン産のロイヤルマホガニーという褐色の濃い方の石です。

 内部の床はイタリア産のローザギャンドーネ、ほんのり薄いローズ色のグレー御影です。
 内部壁には日本人が最も好む白大理石、ビアンコカララが多数使われています。

 バブル真っ最中の建物で、使用石材も当時は世界最多を誇りました。
 
 東京オリンピックの開会式を見ながら、30年前の石屋のオリンピックと言われた、東京都庁の石に思いを馳せ、あの狂騒の時を懐かしく思い出していました。



 

2021/06/30
第190回 「最も心に残った石像」

 石の人物像を現地で見て、想像していた範囲を超えて強烈に印象に残っているものがいくつかあります。

 今回は石(大理石)像の中で特に衝撃を受けたものを紹介します。

 先ずはフィレンツェで見たミケランジェロのダビデ像。
 美術や西洋史の教科書にも載っている超有名な像ですので写真では何度か目にしていましたが、本物を見た印象は「なんて巨大な!」でした。
 一つの石の塊りから掘り出されたダビデ像は何と高さが5メートル17センチメートル、普通の男性の3倍の大きさです。重さは5.66トン、人間の体重と比べると70人~80人分です。
 これを当時26歳のミケランジェロが3年ほどで作り上げたということで、その熱情と共に力強さを感じます。
 このダビデ像は石の堅固さと巨大さを前面に出して作られた1504年から、現在に至るまでフィレンツェのシンボルとしてそびえ続けています。

 次はパリのルーブル美術館で見たサモトラケのニケ像です。
 こちらはエーゲ海のサモトラキ島で1863年に見つかった古代の遺跡です。
 ニケ像だけで2メートル44センチメートルですから、こちらも大きな像ですが、この像の下は台座代わりに土台と石の船もあり、そちらと合わせると5メートル57センチメートルとダビデ像に匹敵する巨大さです。もちろんニケ像と台座の石は別物なので、よく一緒に見つかったなと感心します。
 こちらは紀元前190年というから作者は当然わかりませんが、着ている服の襞まできれいに再現されているのは、ルネッサンス期の彫刻作家にも負けない作りです。

 そして、服の襞の再現、布の柔らかさを硬い石で表現しているものといったら、ダビデ像と同じ作家ミケランジェロのピエタ像です。
 バチカンのサン・ピエトロのピエタと言われています。
 ミケランジェロにはピエタの作品が4つあり、そのうちバチカンにあるこのサン・ピエトロのピエタは特に評価が高く「The ピエタ」と呼ばれ他のピエタを代表する傑作と言われています。ミケランジェロの初期作品でありダビデ像に取り掛かる前の1500年には完成していたといわれています。
 この像を見た時、大きさはそんな大きくはなく(174センチメートル×195センチメートルで等身大かそれより若干小さく見えました)目に迫るものではないのですが、その洗練さと柔らかさが心にしみてくる石像でした。
 マリアやキリストが身に着けた衣服の襞や肉体の表現が石を超えた何か神秘的なもので作られたような、まさに心に響く作品でした。
 しばらくここを離れられなかった思い出があります。

 最後に一つだけ上記の3点に負けず劣らず印象に残っているものも紹介させていただきます。

 サン・ピエトロのピエタの衣服の柔らかさと同様、男性の筋肉、女性の柔肌を同じ大理石で表現したローマ、ボルゲーゼ美術館のプロセルピナの略奪という彫刻です。
 こちらはイタリアのベルニーニが1622年に作ったものです。
 大きさは2メートル25センチメートル、等身大よりは1.5倍ほど大きいですが、皮膚や筋肉の動きを大理石の中に瞬間で固めたみたいな見事な作品です。

 これも、展示品の前からしばらく動けなかったほどの衝撃でした。

(構成の都合上写真は3点までのため、プロセルピナの略奪は載せられませんでした。ご興味があればご覧になってください。)

 

2021/06/01
第189回 「多数の石像」

 洋の東西を問わず石像はいくらもありますが、なぜか複数で縁起のいい数をまとめて一つのセットにしていることがあります。

 例えば日本では七福神というものがあり、こちらは特に石像にしているものを多く見ます。

 七福神をすべて諳んじられる人は余程の物識りでしょうから一般的にはその来歴やそれぞれの由来などあまり知られていないことが多いと思います。

 一応確認すると恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋となっていますが、よくよく調べるとこの中には重複している神様もいたり、他の神を入れて八福神と言うくくりもあったり、地域によって違ったりとあまり統一されていないようです。

 それもそのはずで、この七福神はもともと一つの由来や縁起話で出来た話でなく、仏教や、儒教、道教、インドのバラモン教や民間風俗などいろいろな宗派?の神様を縁起の良い七の数でまとめたもののようです。

 それであればバラバラの神様ですが、お正月の宝船に一緒に乗り込んでいたら何か同じ仲間に見えてくるから不思議です。

 西洋でも教会では建物自体に聖人と呼ばれる石像がたくさん上がっています。

 キリスト教に貢献した高名な信者や使徒たちの実在の像なのでしょうが、こちらもキリスト教内の宗派や地域によってその聖人がたくさん居て我々にはどの人がどの像なのか判別が難しいところです。

 聖書や最後の晩餐で有名な12使徒くらいはかろうじて分かるかもしれませんが、全ての名前を出すにはやはり調べないと‥‥

 12使徒とはペトロ・アンデレ・大ヤコブ・ヨハネ・フィリポ・バルトロマイ・トマス・マタイ・小ヤコブ・タダイ・シモン・イスカリオテのユダ・マティアだそうです。
 
 あれ?

 13人居ますね。

 もっと調べると、もともとはイスカリオテのユダまでが12使徒だったのですが、キリストを裏切ったユダを12使徒から除いてマティアを繰り上げて12人の中に入れたとあります。

 こちらもなんか13という数字にしたくなくて12にこだわったような気もしますね。


 さて石像には数をまとめてセットにすることを書いてきましたが、よくよく考えると中国の秦の時代にはその数が、半端ない桁になっているのがありました。

 兵馬俑の兵士の像です。

 その数8000体と言われています。

 縁起がいいも悪いもない圧倒的な数の力ですね。

 まあ、残念ながらこれは石造ではなく陶製ですが、その硬さや永遠性は石にも劣らない歴史の遺産であると言えますね。

 

 

2021/05/06
第188回 「河原の石」

 前回のコラムで趣味は石かもしれないと記載したら、知人からこんな石もあるし、こんなのは何?と質問のような又確認のような連絡がありました。

 質問の一つは河原の石って材質は何なの?というものでした。

 誰もが小学校の理科で丸い石は川を下って来る時に角が取れで丸くなっているので、川の上流の石は四角くても下流になると丸い石が多いことや、漬物の石にちょうど良い形のものがあるとか河原の石にはそれぞれ愛着やイメージがあることと思います。

 実はあの河原の石は何と様々な種類の石のサンプルなのです。

 写真2にその特徴的なものとしていくつかの種類が写っていますが、これらの小石は全て出来た場所も川を下ってきた源も石の中の素材も全く違うものです。

 そもそも火山岩系、堆積岩系、変成岩系という大どころの違いから始まり、火山岩系では流紋岩、安山岩、玄武岩があり、同じ火山岩の中の深成岩系では花崗岩、閃緑岩、斑レイ岩とあり、また堆積岩系の泥岩、砂岩、礫岩、凝灰岩、石灰岩などや、変成岩系の大理石、結晶片岩などと専門家でも迷う実に多くの種類がありますが、この河原の石にはその多くが含まれていることから石のサンプルの宝庫ともいえるものです。

 でもその出来方や来歴を超えて全てが手のひらに載るくらいの大きさとその丸みに一体として見てしまいがちです。

 実はその個性は全く違う中で、同じ河原の中で、水の流れに揉まれて同じような形になって姿を見せるところは、まるで生まれも育ちもバラバラな個人が同じ器、同じ環境で同じような価値観を持つように至る会社人材のようにも思われます。

 そして二つ目の質問が写真3のようなさざれ石です。

 そうです、君が代の歌の中にあるさざれ石は日本のいろんなところで見られるのですが、漢字では細石とも書いて、基本的な組成としてはそれぞれの細かい石の間に炭酸カルシウムなどの石灰岩質のものがその隙間を埋めてまるで一つの巌の塊りになったようなものです。

 まさに、会社の人材が同じ目標や価値観を持つことによって、それぞれの隙間に共通の意識で固めて大きな固まりとなったもの、つまりそれが企業の強さに繋がるのなら、小石の力も大きいものと変貌する良い例かと思います。

 会社やグループの中にいくつもの個性があり、その特徴を最大限生かしつつも、同じ組織の中で一つに固まる理念や価値観を共有する集団としての理想をさざれ石に求めてしまうのも趣味の延長かもしれません。






 

2021/04/11
第187回 「趣味は何ですか」

「趣味は何ですか?」 

人と会って話していると、時としてこのような質問を受けたり、逆にこちらから聞いていたりすることがあります。

 でも改めて返事をするのはその都度同じ答えで無かったりもします。

「特に趣味と言えるものは無いですね。」
「ウォーキングや軽登山、いわゆるトレッキングにはまっています。」
「まあ、飲むのが好きなのですが、特にワインに凝っています。」
「旅行が好きで日本全国行っていない県はもう無くなりました。」
「読書が好きで特に歴史モノや経済モノはよく読んでいます。」
「休みの日は家で借りてきたDVD(今や古いでしょうが)を連続で観るのが好きです。」
「季節によって太ったり痩せたり、いわばダイエットが趣味かなぁ?」

などなど、果たしてそれらは「趣味」なのかどうか。

 いつ、どこででも絶対に気になって関心があることが本当の「趣味事」だとするなら、上記以上に私の場合は「石」ではないだろうかとも考えます。
 このコラム「石のことば」を書かなくていけないからかもしれませんし、仕事人間だからかもしれませんが、ついついこの石は○○石、産地は○○国、この石碑に彫られているのはいつの時代、どんな人の生きた記録か、など何処に行っても歩いていても石を目にすると考えてしまうのは、「趣味」と言っていいのか、「病気」と呼んでいいのか。

 でも気になるのは、やむを得ないですよね。

 ただ最初にあげたいくつかの「趣味の答え」ですが、やはりそれらもすべて私にとっては大事な瞬間瞬間です。

「ワイン」は食と共に身体に活力と満足を与えてくれます。

「トレッキング」は老いた身体の体力維持や筋力アップをはかってくれます。

「旅行」は新しい発見と自身の世界を広めてくれます。

そして「読書」や「映画」鑑賞は考え方の筋道を正し、頭の中のヒントを気付かせてくれます。

 とまぁ、勝手に自分の好きなことを「趣味」と無理やり結び付けて、自分なりに納得しています。


 

2021/03/28
第186回 「青葉城址」

 仙台のお城と言えばだれもが青葉城と答えるかと思いますが、実は今の常識で言うお城=天守閣のある建物は無く、本丸は平屋建ての御殿があるだけでした。

 その本丸御殿も明治維新で仙台藩が賊軍になったことから明治新政府から解体の命が出て撤去してしまいました。

 青葉城のイメージとして大手門前の隅櫓の写真が良く使われますがこちらは第二次世界大戦の仙台空襲で焼失したものを昭和42年に再建されたものです。
 しかしそれも令和になってから現存していたものと違うという史実から今後15年かけて大手門と隅櫓を再建することになったようです。

つまり政宗時代から続く建物は一切なく、基本的に江戸時代から続いて継承されたものは石垣だけです。

 こちらの写真は本丸御殿前の最も重要な石垣ですが、高さがなんと17メートル、傾斜角度は70度という事で、勿論ここを登って攻めることは不可能であるばかりかこれを作るのもかなりの難易度だったと思います。

 しかし実はこちらも歴代の藩主がその都度修繕、改築してきたことが近年分かりました。

 というのも、前回の東日本大震災ではなくその前の昭和53年の宮城県沖地震で一部崩れかけた石垣を20年近くもかかって予算を捻出し何とか解体を始めたのが平成10年になってからで、その時に9,189個の石材を番号を付けながら解体し、元に戻すのに10,332個の石を元に戻して修復した時に、もっと内側に政宗時代の石垣跡と思われる遺跡が出てきました。
 
 そちらは今回そのまま埋め戻したようですが、そのように何度か石垣を拡げ、高く、より傾斜をつけ、より堅固に作り直して来たようです。

 平成10年からの修繕は平成16年まで6年もかけて行われ、不足した新規石材は1,699個にも及びました。

 実はこの石垣はもともと仙台市内の国見地区という所で採れた玄武岩系安山岩でしたが、もはやその国見地区は住宅地となり石材採掘などはとんでもないことで、日本中を探してその新規の石材1,699個を集めたのがこの石垣です。

 今の技術でもその数を集めたり修復にこれだけの時間がかかるものを、江戸時代にどのようにして採掘、運搬、加工、設置したのか、まさにロマンを感じます。

 最後にこの青葉城址ですが、私の散歩コースでもあり、仙台中心部から片道で45分、歩数で6,000歩、距離は4.5キロメートル、高度差115メートルのエクササイズはちょうどいい感じで汗をかくルートになっています。




 

2021/02/06
第185回 「大塚国際美術館」

 今回は徳島鳴門海峡に隣接する、世界的にも珍しい美術館の話をしたいと思います。

 ご存知の方も多いと思いますが、大塚国際美術館。
失礼ながら、馬鹿でかくて西洋名画のコピーを多くを展示している、模倣の陶板の絵が飾ってある美術館?のようなイメージが大半かと思います。

 実は私もここに行くまではそれほど関心も持たず、興味を惹かれることはありませんでした。

愛媛県、高知県、香川県と来て最後の徳島県はどこに行こうかと考えた時に最初に出てきたのが、ここ大塚国際美術館です。

 調べてみると、薬品の大塚製薬グループ、家庭用の商品ではアース製薬と言えばいくつかの商品を思い浮かべるかと思います。
 その大塚グループの創業の地が徳島県で、それにまつわるエピソードがあってこの地に美術館を建てることになったそうです。

 実はここ鳴門海峡からは白い砂がたくさん採れます。
それに目を付けた大塚グループの建材部門(現在の大塚オーミ陶業)の創始者が、この白砂を使って大型陶板(陶器タイルの極端に大きい物)を建築用に作りたいとの情熱でスタートしたことがきっかけとなります。

 色々と研究を重ね世界でも高品質で大型の陶板の製品が作れるようになったものの、時代はバブル崩壊後の建設不況で商品の販売がはかばかしくなく、その技術の応用で写真陶板に入っていったという経過があります。

 ここで、創業者の話を私が読んで共感・感動したのが次の言葉です。

「白砂のままだったら取引はトンいくら、陶板になれば平米いくら、ところが写真陶板は一枚いくら、更に美術品の陶板なら一式いくらと付加価値の数え方が変わる。」

 まさに、仕事をする上での指標です。
自分たちの仕事はトンなのか、平米なのか、一枚なのか、一式なのか、付加価値はどのように伝わるのか?伝えるのか? とても感心しました。

 そんなことで実際にここに行ってみました。

 とにかく大きい、巨大な美術館です。
先ずは、バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画と全く同じ絵が、同じ大きさの規模で入館者を圧倒します。
 数年前本物を現地で見た者にとっては、ほとんど同じもの、敢えて違いを言えばバチカンの最深奥の心が引き締まるような神聖さと、必要以上に来館者のささやき声を注意する警備員の存在があるかないか位なもので、その全体感は十分に味わう事が出来ます。

 また、ゴッホのひまわり、と言えばだれでもそのイメージはあるかと思いますが、実はゴッホのひまわりって生涯で7枚描いていて、その7枚を一堂に揃えて一度に見ることはここ以外、そして今後も絶対にありえないという事もここで知りました。
 だって、そのうちの6枚は地球上のどこかに存在しているので(うち1枚は個人所有で門外不出、美術館にも貸し出しはしないそうですが)どこかの美術館に企画で全部を一堂に集めることが或いは可能としても、最後の1枚については日本人の個人所有だったものが、芦屋の空襲で焼失してしまい、写真から起こしたこちらの陶板画は残っていても現物は既にこの世にありません。
 それを含めてゴッホのひまわり7枚がすべて同じ部屋で、現物とたがわず見れるのはここでしか出来ないことです。

 最後は、レオナルドダヴィンチの最後の晩餐の壁画2枚です。

 左が修復前の黒ずんだテーブルの上で、ワインもパンも良く見えなくなっていた絵ですが、反対側の壁画はそれを数年かかって現地補修した、テーブル上に調理した魚も見えるダビンチ創作当時のままの絵となっています。

 絵画自体は本物でなくても、それをどのように見せるかによって、又写真陶板という本物の劣化に関係なく、いつまでも今を、今のまま後世に残す絵画の展示美術館ってあっても良いものだと改めて感心しました。

 興味がある方は十分に時間を取って見学されるといいと思います。

 

2021/01/15
第184回 「秋山兄弟の生家」

  愛媛県松山市にはグループ会社の店舗があり、最近はたびたび訪問するようになりました。

 そうは言っても仕事の中での出張ではほとんど観光する時間はなかったのですが、仕事とは別に時間を取ってじっくり回りたいところを見たいと思い市内のガイドマップを開いてみました。

 松山観光となれば必ず入っている松山城のロープウェイ乗り場から5分ほど、また多少時間があってじっくり回る観光コースには必ず入るだろう、坂の上の雲ミュージアムからも5分位の中間地点にその観光スポットはあります。

 個人的には司馬遼太郎の小説が大好きで、特に坂の上の雲は何度も読み返した愛読書です。
 なので、当然ながら坂の上の雲ミュージアムも松山城も2、3度足を運んでいました。

 でも、その中間にある秋山兄弟生誕の地は、あまり認知も無く訪れる人もまばらな小さなスポットで、今回初めて見学しました。

 この場所は本当に江戸時代の松山藩以来の秋山家があった場所で、秋山兄弟(兄の好古、弟の真之)が実際に住んでいた場所です。
 その兄の好古が明治の後半陸軍を退役した後に、松山市内の北予中学校の校長先生として赴任し、その際実家を多少改装して住んでいた時の状態を再現して建て直したものだそうです。

 当たり前と言っては何ですが、今の家事情から考えると小さくて狭い感じがします。
でも、司馬遼太郎が小説の中で描写している秋山好古の、人の生き様は無駄なく簡潔をもっぱらとする、というその思想が再現された家にも色濃く遺っているように感じます。

 数年前にNHKの大河ドラマ特別編(12月だけ3年に亘って全13回のシリーズとして放送された)で兄好古は阿部寛、弟真之は本木雅弘、もう一人の主人公正岡子規を香川照之での役作りもかなり原作の雰囲気にイメージが合っていると思われ、改めて最近また読み直しているところです。

 特に昨今の世相や特にコロナ禍の中で、何か下を向きがちで暗く気分がすっきりしない時代にこそ、司馬遼太郎が坂の上の雲のあとがきに書いた「登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を登っていくであろう」という感覚をもう一度思い出して前に進める日が来ると良いと感じます。


 

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