社長コラム 石のことば
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2013/10/30
第97回 「鰺ヶ沢 赤い靴の女の子」

何事にも行ってみないとわからない事や、現地で初めてわかる事などがたくさんあります。

 今回は青森県鰺ヶ沢町を通った時に偶然見かけた『赤い靴の像』について書きたいと思います。

 
 誰でも知っている事ですが、赤い靴は野口雨情作詞の童謡で以下のような歌詞が続きます。


 赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった
 横浜の はとばから 船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった
 
 今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう
 赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える


 この歌をモチーフにした女の子の像は、当然その波止場である横浜の山下公園にある事は知っていましたが、なぜ偶然通りがかった青森県鰺ヶ沢町で赤い靴の像があるのか全く理解出来ないまま、写真だけは撮ってきました。

 鰺ヶ沢町と云えば大相撲の舞の海関の出身地であり、相撲が有名なのは知っていましたが、その像の石碑にある赤い靴のモデルの父親の鈴木史郎という人の出身地である事、更にはその鈴木史郎さんてどんな人なのかも含め全く知らない事が記載されており、逆に興味を持つようになりました。

 調べた事を非常に簡単にまとめると、静岡県出身の岩崎かよさんがお母さんで、その娘きみ(明治35年7月15日生まれ)が実在のモデル。岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り鰺ヶ沢出身の鈴木史郎と結婚。きみが3歳の時鈴木夫妻は北海道の開拓生活に入り、娘きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。
 やがてヒュエット夫妻は本国に帰ることになるのだが、その時きみは結核に冒されておりアメリカに連れていくことが出来ず、東京麻布の孤児院に預けられ9歳で亡くなったという。

 母かよ及び義父の鈴木史郎もきみはヒュエット夫妻と共にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、札幌で親交のあった野口雨情にその話をしたものという。

 しかし実際には、かよは孤児院にいて母親に会うことも叶わず短い生涯を終えていた。
 幸いにも母は生涯その事を知らず、アメリカに渡った娘を思っていたという。


 そんな話がこの童謡の裏にあるとは本当に知らない事ばかりです。

 また横浜と鰺ヶ沢の他に、赤い靴の女の子の像はアメリカカリフォルニア州サンディエゴ市、静岡県日本平市、東京都麻布十番、北海道留寿都村、北海道小樽市、北海道函館市とそれぞれその物語の登場人物にちなんだ各地にあるそうです。

 
 鰺ヶ沢の家族3人の像は、中国産白御影の小たたき仕上げに、インド産赤御影の本磨きのアクセントで、なにか暖かい家の中の畳の上で3人が暮らしている(本当は無かった事だけれど)ほのかな雰囲気の像でした。

 悲しい物語ですが、それを知りえたのも現地に行って興味を持ったからだと、つくづく感じました。

2013/09/30
第96回 「地学研究会」

 9月21日に6年振りとなる 地学ハイキングの勉強会が行われました。

これは県内の中学校及び高校の理科や地学の先生方が中心になって、小学生から中高生、一般の方まで含め地学や理科に興味のある方々の自主的な同好会であり、過去にも何回か当社の大理石工場や世界中から輸入した石材の勉強会ということで、番外編で当社会場で開催されてきました。


 
 前回開催が6年前ということで久しぶりに再度当社にて行いたいとの依頼があり、一般の方にも石に対する興味や石材を身近に感じてもらえればと、喜んで引き受けさせていただきました。


 今回の勉強会の初めが石のお話しということで、このコラムのような石の話しを3つさせていただきました。


 3つにしたのは小学生から一般社会人そして理科の現役先生方までいらっしゃるので、話を簡単なものから少し難しいものや大人向けのものまで聞く方々に合わせる意味と、石・石・石の三つで当社のロゴになっている磊をかけた理由と、それから時間的な理由などで決めました。


当日の講演のレジメには
石は切れない!
石材の王様・石材の女王様
大理石とワインの美味しい関係

となっています。


お話しの内容は別な機会に述べますが、約50分の講演と10分の質問タイムも、50名ほどの皆さんの熱心な態度と真剣で的を得た質問であっという間の時間に感じられました。

楽しく聞いていただけてたら何よりです。


 その後は大理石工場で、水で石を切る機械の実演見学や、アンモナイトや直角貝の化石の入った大理石の見学、そして最後に世界中から集まった石材の欠片(端材)の見本拾いと、好天の中賑やかな一日を過ごされて無事解散となりました。

 石材の良さや特徴など興味関心を持っていただけたら、今回の何よりの収穫であったと思います。

2013/08/30
第95回 「白神山地 青池」

 今年は富士山の世界遺産登録で大変に盛り上がり、道路は帰省ラッシュ並みの混雑ぶりと富士山登頂に至ってはまるで行列の出来る有名店の如くに、人々が並んでいる映像が映されていました。

 私はまだ登山での富士山は経験していませんが、いつかは登ってみたいと思っています。


 さて、日本中が富士山の方を見つめている時に、ほとんど混み合わずに青森県から秋田県にかけて広がる白神山地を初めて訪れました。

 実はこの白神山地は、1993年に屋久島と一緒に日本初の世界自然遺産に登録され、富士山よりも20年先輩に当たる、世界遺産登録ブームの先駆けとなった場所です。

 
 白神山地内の最大のポイントは十二湖と云われる周辺でしょう。

 そしていくつかのきれいな池や沼や湖を巡る中で究極の目的地は青池です。


 写真の右と中央がその青池ですが、本当に青いです。

 自然界であのような青さが出ることは、科学的にも解明されていないとの記載がありましたが、本当に驚くほどの青さです。


 写真右は十二湖内で青池の次に人気のある沸壷の池です。

 こちらもとってもきれいで、水底まで見通せる透明感があり、他とは比べられない水の色を湛えていますが、青池と比べると若干ですが緑がかっているかもしれません。


 
 実は石材でも「青」と「緑」の色の問題があります。

 石にもブルーやアズール、グリーンやベルデの文字を含んだ名前のものがたくさんありますが、青(ブルー・アズール)の色を冠した例えばブルーパール・ラベンダーブルー・アズールマカウバ等々の青は黒っぽかったりグレーだったり緑だったりで、決して青池のような「青」ではありません。

 石材業界では、本当に「青」い石を見つけたら、億万長者になれるという言い伝えがあります。
 
 自然石の中で青池のような青さの石はほとんど見たことがありません。

 私の知っている中では唯一アズールバイアというブラジル産出の石だけが「青」と呼べるものです。

 ただ残念ながら、真っ青でなく黒やグレーや茶も点在している石で、産出量も少なく通常の花崗岩の十数倍の金額になります。

 
 かたや、緑(グリーン・ベルデ)の色を冠したものは、グリーンオニックス・蛇紋岩・ベルデフォンティン・オリーブグリーンなど、わりと緑色として一般に認識できる石が多いです。
産出量もそれほど極端に少なくは無く、一般的にはちょっと高級な価格帯に属している石が多いです。

 青池と沸壷の池の違い、青と緑の違いから、青い石と緑の石の違いに至ったところで今回のコラムを終了します。

2013/08/03
第94回 「千畳敷」

今回は青森県の日本海側 つがる市の南西にある深浦町 千畳敷海岸の事を書きたいと思います。

 深浦町には有名な白神山地の登山口があり、十二湖やウェスパ椿山、或いは不老ふ死温泉など一度は名前を聞いたことがあるけど、でもなかなか行けない遠隔の地という印象のある場所です。

 鰺ヶ沢町から南下し海岸線をドライブしていたら、何気なく目の前に広がる海が突然岩肌の露出になり、且つ日本海に向かって突き出す様は、まるで人工的に土地を整地したかのような、運動場よりも広い平坦な場所が見えてきました。

 その地名は千畳敷海岸と言い、日本の夕陽百選のトップクラスに選ばれ、視界はただ日本海の水平線だけが見え、そこに突き出た岩肌の床だけが海との境を醸している何ともきれいな場所です。

 でも千畳敷という地名は他でもよく耳にし、訪れたこともあるような気がします。

 調べてみると日本には、たくさんの千畳敷という地名の場所があります。

 中央アルプスの千畳敷、南紀白浜の千畳敷海岸、山口県長門市の千畳敷、また秩父長瀞の千畳敷きや、同じ東北にも岩手県三陸海岸の千畳敷、宮城県金華山の千畳敷など数え切れません。

 もともとは畳を1,000枚敷いたほどの広い場所という意味でしょうが、畳千枚ということは、広さの換算で500坪(約1,700平方メートル) そのくらいの敷地や平らな場所なら都心はさておきちょっとした田舎ならいくらでも見つかるでしょうが、実際に千畳敷きといわれている所の広さはその数十倍の5ヘクタール10ヘクタールの規模の場所に命名されているようです。

 万畳敷、億畳敷の広さの場所もあるのでしょうが、その命名は中国大陸やロシアの地名に譲りましょう。

 多くの千畳敷様の地形は岩盤を氷河や海水に削られて出来たものですが、ここは200年ほど前に突然隆起してきたものとの説明がありました。

 いずれにしても、自然が作る造形の美しさには驚きます。

   
 2つ目の写真には太宰治の紀行文的自伝小説の「津軽」に金木、鰺ヶ沢などとともに、この千畳敷海岸を訪れて説明している文章を抜粋した記念碑です。



 最後の写真は、なぜかいろいろな所で偶然出会う大町桂月の文学記念碑。

 十和田湖畔や八甲田の蔦温泉、北海道の層雲峡など今までいろいろ訪れた場所にはなぜかこの人の記念石碑が残っています。

 終生 酒と旅を愛し 温泉をこよなく愛でた姿は 各地で敬愛されて、記念碑として残されているのでしょうか。

 また偶然どこか奥地の温泉や、秘境などで大町桂月の足跡を見つけるのも楽しい期待です。

2013/07/01
第92回 「田んぼアートと屋根の石」

 よくテレビのニュースなどで、稲の種類違いの色を使って、田んぼに大きな絵を描く田んぼアートというのがあることは聞いて知っていましたが、今回ついででしたが近くを通ったので寄って見ることが出来ました。

 場所は青森県津軽郡田舎館村大字田舎館の田舎館村庁舎(お城を模した建物)の最上階(天守閣)から見下ろす場所です。


 今年の絵のモチーフは花魁とハリウッドスター(マリリンモンロー)とのことで、まだ十分に稲が育っていないにもかかわらず、しっかりとその陰影を写し出しており見事な芸術作品です。

 下に降りてから直接人の目線で田んぼを見ても、そこに何が描かれてるのかはほとんど分からず、まるでナスカの地上絵のように、高い位置から見て初めてその全貌がわかりとても面白い企画だと感心しました。

 他の地区の過疎化が進んだ農村でも、このような企画で注目を集め、地域の活性化をはかる手立てはたくさんあるような気がします。

 
 ところで、このお城のような庁舎に登り、田んぼアートの反対側を見下ろすと、屋根部分にゴロゴロした丸石が屋根一面に敷き詰められて(置かれて)いまして、なんでだろう?と田んぼアート以上に関心を持ちました。

 風の強い地域で、木造の平屋などの場合は、軽くて強風に飛ばされたり、風で屋根を巻き上げられたりしないように、石を屋根に載せる事があることは知っていましたが、この建物は鉄筋コンクリート(天守閣までは)6階建てのしっかりした建物です。重さを増すための理由でないことは確かです。

 では、雨水の為か、屋上緑化の為か、或いは直射日光の遮熱対策か、いろいろ考えてもそのらしい回答とは思えず、庁舎の係りの若い人に聞いてみることにしました。

 結果は「その昔、お城に攻めて来た敵に対して、鉄砲や弓矢でなく、石を投げて防いだことが記録にあり、それを真似して屋根に石を敷き詰めたと聞いています。」との事。
 「でもここにはお城というより館のような平城があっただけなので、本当に敵が攻めてきてから屋根に上って石を投げたのですかね。」と本人の疑問とともに詳しく説明をしてもらいました。

 いずれにしても、田舎館という地名、田んぼアート、お城の屋根の石となかなか面白い場所でした。

2013/07/01
第93回 「平成の森と北温泉」

 那須や日光周辺は、ちょっとした遠出のドライブと観光やレクリエーションを兼ねた、休日によく行くエリアです。

 以前のコラムで那須岳トレッキングや殺生石、鹿の湯の事などを書きましたが、今回は那須平成の森の散歩(?)について記載します。


 那須平成の森はとても新しい名称で、且つここに自由に入れるようになったのはつい2 3年前からの事のようです。

 そもそもここは那須御用邸の敷地であったものを、現在の天皇(平成天皇)の在位20年を記念し、広く国民に活用してもらおうとの方針で、御用邸の敷地のうちの半分の560ヘクタール(半分でもすごい広さです)を宮内庁から環境省に移管され各種整備された後、平成23年5月に日光国立公園の一部として開園したものです。

 園内にはビジターセンターもあり、たくさんの散策コースも整備され、また係りの人の自然散策ガイドツアーなども受け付けており、手つかずに残ってきた自然を満喫できる穴場スポットです。

 今回はトレッキング仕様の重装備はせず、散歩程度で行けるコースを約1時間ほど回りましたが、途中にはさすがに那須だけあって、那須与一伝説の案内板と現物の紹介がありました。

 かなつぼ石と言って那須与一の奥さんがお歯黒用に鉄漿を採集した石との記載です。

 人の身長ほどの大きな石ですが、おそらく花崗岩系か閃緑岩系の石で、ちょうど上部に雨水が流れてきて溜まるようなくぼみがあり、石本来が含む鉄分や周辺の土壌に含まれる酸化鉄が溶け出して、鉄漿のような色になったものと思われますが、厳密にはこのまま使用してもお歯黒用には使えないと思いますが、伝説として言い伝えられた事が重要ですので、ここは深く突っ込みません。


 しばらく歩いて上の駐車場には駒止の滝の展望台があり、暫し汗をぬぐいながら眺めていると、何やら手ぬぐいや日帰りのお風呂グッズを持った方々がその脇の、車が通れない小道を行ったり来たりしており、俄然興味が湧き出し付いて行くことにしました。

 10分程の急な山道でしたが、下に着くとそこには突然、昔ながらの一軒家の温泉宿が見えました。

 どこかで見たことのある、なんか懐かしいその玄関先、右手のまるでプールのようなとても大きな露天風呂、温泉の名前は北温泉。

 んーむ、どっかで見たことがあると思ったら、映画テルマエロマエのロケ地でした。

 上戸綾の実家ということでの設定で、確かに何度もスクリーンに出てきました。

 知らずに行って偶然見つけたことが何ともうきうき楽しい気分です。

 見知らぬ地で思わぬ物や人に出会うのは、驚きとともに楽しみであることが改めて実感した散歩コースでした。

2013/06/15
第91回 「歴史小説」

 私の楽しみの一つに読書があります。

 特に好きな作家は司馬遼太郎で、歴史上の人物、特に二番手や正しい評価をされてこなかった、教科書では準主役クラスの実在の人物に光を当ててその人生を生き生きと描く歴史小説が大好きです。

 「龍馬がゆく」「坂の上の雲」「国盗り物語」「燃えよ剣」から始まって「峠」「菜の花の沖」「世に棲む日々」「空海の風景」などタイトルのネーミングもとても好きです。

 司馬作品には大きく2種類あって上記の歴史小説ジャンルと紀行文や随筆のタイプがありますが、歴史小説に関しては全種読んでしまい、本人が亡くなってからは新版も出ることなく二度目、三度目と読み返したりしています。紀行文もそれなりに面白いですが、そちらはなかなかのめり込んで読みふけるという状況にはなりません。

 司馬遼太郎作品の歴史小説に代わる面白い作家はないかといろいろ読んでみていましたが、今回人に勧められて「海賊とよばれた男」を読みました。

 戦前から戦後にかけての近代の話ですが、「石」ではなくて「石油」のお話で、出光興産の創業者の半歴史的小説です。後で調べると若干美化しすぎたところもあるようですが、私としては今までに知らなかった、過去の人の一生に光を当てるぴったりツボにはまる小説でした。

 
 その流れで既に文庫版となってはいましたが、江戸時代の実在人物渋川春海(安井算哲)の暦の改編の小説「天地明察」も続けて読みました。

 こちらはグループ会社で測量やGPS関連ソフトを扱っており、地上測量(緯度・経度)を行い、星や太陽の動きを実測と数学的(当時は和算)見地から実勢に合った暦を考案した話で、こちらも知らなかった事だらけでとても面白かったです。

   
 さらには、もう一つのお気に入りジャンルの経済小説とのコラボで和民の創業者渡邊美樹の上場以後の後半部分「新青年社長」など実録的な小説も続けて読みました。

 趣味に実益が揃えば何より良いのですが、最近は夜に読み耽っていると、若干の睡眠不足は実務にあまりいい影響がないので、少しペースを落とさなければ……とは思いながら読んでいます。

2013/05/31
第90回 「久々の窯焼きピザ」

以前このコラムでも紹介しましたが、ナポリ風で生地がもっちりとした美味しいピザ屋さんに本当に久しぶりに行きました。

 当社事業部の一つであるストーンライフという部門で石のピザ窯や石竈などを展示販売するときに、ピザ焼き実演の為いろいろとノウハウを相談させていただいたりして大変お世話になっていましたが、震災でバタバタしているうちになかなか時間も取れず時間が空いてしまっていました。

 震災すぐには電話で一度安否はお互いに取っていましたが、そういう意味では3年振りくらいのこのお店のピザの味でした。

 以前と比べますます人気が出て、当然ながら予約が無ければ入れませんし、開店間もなくから閉店までずっと満席御礼状態です。

 そんなに好評なら店を広げたり、支店を出したりすれば良いのにと水を向けても、仕込から窯焼き、盛り付けまで全て自分でこなすマスターは、これ以上大きくなったら自分の味が出せなくなるからこれで限界ですと、謙遜気味にそして職人のプライドで返答されます。

 そこがまた人気が続く秘密でもあるのですね。


 
 メニューも3年前にはなかった定番料理がお勧めとして載っており、新規創作の意欲も相変わらずの意気込みでした。

 早速その新メニューのピザを戴きましたが、変わらぬ美味しさに暫しの間堪能しました。

  
 厨房の奥には注文が多くなって近年取り揃えた粉練機、今でも自分で割ってる薪、そして休みの日でも火を落とさず温かく(熱く)保持続ける変わらない石窯がしっかりマスターの仕事を支えているのが、無言のうちに伝わってきました。

2013/04/30
第89回 「明治28年の記念碑」

 言い訳になってしまいますが、毎年春先の花粉の時期は2つの理由で筆も進まずコラムの更新も遅れがちです。
 
 一つはもちろん酷い花粉症のせいです。
10数年前にある日突然という感じで花粉症が発症し、以来春の数週間と秋の2 3週間、まるで春と秋の交通安全週間のように期間を定めて一大キャンペーンを迎えます。

 くしゃみと鼻水、目もかゆくなり時に睡眠にも影響します。
外出もおっくうになるとコラムに書く事も少なくなり、毎年この時期には掲載ネタも底をついてしまいます。

 二つ目は仕事上、会社の決算という時期に入るためです。
当社のグループ会社それぞれの決算月がありますが、期末数値締め・決算集計・各種会議や総会など、ちょうど2月下旬 5月前半までが業務集中の時期で、なかなか時間的・精神的余裕が無くなりコラム作成に向き合えません。

 でもそう言うと、春が嫌いのように思われるのは本意でなく、春を心待ちにしている自分も居ます。

 それは当然ながら花見の賑やかさであり、夕方の日の長さであり、コートを脱ぐ陽気さであり、そして何より、半年振りに行ける山歩き、トレッキングのシーズンが再開する事が待ち遠しい楽しみです。



 今年の初トレッキングは、泉ヶ岳登山からスタートしました。

 半年振りのせいで体も重く足も出ず、途中小雨や小雪に見舞われ、下山道では強風にもあいましたが、安全に楽しく往復してきました。

 中腹の水神碑のあるところで昼食休憩を取りましたが、その水神碑を写真に収めました。

 明治28年11月28日 泉嶽村中とあります。
明治28年は1895年、今からおよそ120年前、日清戦争が終結した年で、その後教科書で有名な三国干渉のあった年です。
 また、正岡子規が日清戦争の従軍記者として戦地に行った年でもあり、坂の上の雲の人々が本当に生きていた時代です。

 そんな昔からそのままの姿で今に伝えている石は、およそ2メートル×1.6メートルで、 重量は約3トン、石の種類は安山岩か流紋岩 この泉ヶ岳全体に分布している岩石です。

 物の本によると、この記念碑は旱魃を怖れた住民が雨乞いの為に村中で建立したそうで 自然の石の形を利用し、字を彫り、泉ヶ岳中腹に設置した物です。

 石が伝える当時のエネルギーと、また巡ってきた春の芽吹きを感じ、久しぶりのコラムを掲載いたしました。

2013/03/06
第88回 「グループ会社の全社会議」

 現在当社では、墓石事業を扱う「まつしまメモリーランド事業部」と建築石材を扱う「ストーンライフ事業部・建築石材製造卸事業部」との大きく二つのカテゴリーがあり、それらを合わせた形で『松島産業株式会社』が事業体(企業)となっています。

 
 また、グループ会社としては、中国福建省の貿易会社『大志貿易有限公司』と東京都品川区にある不動産会社『品川倉庫建物株式会社』、それから岩手県一関市の測量設計『株式会社一測設計』や同じく測量設計事業を行う仙台市にある『株式会社アイエスプランニング』など合わせて6社の会社が企業グループを成しています。
 

 
 それぞれの会社は仕事内容や社員も別々で、お互い協力体制は敷いても企業としては独立性を保ち、それぞれが切磋琢磨しながら業務に取り組んでいます。

 ただ、グループ会社間の社員同志の交流を深めたくて、何年かに一回は全グループの全社会議を計画したいと思い昨年末に計画実行しました。


 会場は各地から集まり、また帰るのにも便利なように、駅前の会場を半年ほど前から探していましたが、さすがにグループ全社員が入るには予約するのが遅くなり、前半の会議形式の会場と後半の宴会形式の懇親会会場は別々にせざるを得ませんでした。

 また、人数もグループ全社員分は無理とのことで、今回は松島産業社員全員と品川倉庫社員全員の他、協力会社4社の社員全員までとして、一測設計からは代表として取締役だけに絞って参加してもらいました。

 前半はスクール形式の会場で部門ごとの発表、後半はそれら入り混じっての円卓での懇親会という形式です。(写真 )



 会社の経営やグループの運営で私が最も大事にするのは『協調性』と『多様性』です。


 同じ会社、同じグループの社員ですから、協働・協調は大切で、また同じく部門の競争や競合も在っていいと思います。それこそが切磋琢磨の環境となります。


 ただ、同じ種類の考えや一方方向の見方しか出来ない、片寄った同朋意識や内向き志向には反対です。やはり社員一人ひとりが違う考え・違う見方で、社内の部門一つひとつはそれぞれやり方や進め方が違って当然ですし、その多様性を尊重したいと思います。


 まさに、「石」には御影石も在るし大理石もあり、安山岩も在れば凝灰岩もある。「石の色」も白も黒もグレーもピンクも在るから良い選択が出来るのだし、いつまでも飽きられないのだと思います。


 当社の社員、グループの社員を「石」に例えるのは大変に失礼な話ですが、それこそいろんな種類のいろんな色の社員が居る方が会社としても、グループとしても強く、不況に倒れない企業になれるのだと確信しています。

  枚目の写真は今回の全社会議に初出席した「新入社員」「新人」「一部飛入り?」です。これらの新しい人たちも先輩たちに無闇に迎合したり同化したりせず、個性を持って多様性を伸ばしてもらえれば良いと思いながらのグループ全社会議でした。
 

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